JL2WACのプロフィール

2019年8月18日

JL2WACのプロフィール概略

【コールサイン】:JL2WAC
【出身】:三重県(現在は愛知県在住/いずれにせよ2エリアですね)
【性格】:穏やかで優しい性格だと、よく言われます。
【職歴】:携帯通信工事会社・パソコンメーカー営業・輸入商社技術部門

     を経て脱サラ。
     現在は電気工事/通信工事/コンピューターシステム開発の会社を経営。
【趣味】:アマチュア無線・スキー・スノーボード・卓球・パソコンを触ること??
【目標】:いつかはCWデビュー!

ちょっと昔話を・・・

はじめまして。
JL2WACの局長です。

さて、私がアマチュア無線に出会ったのは、小学校の頃。
ある先生が車でアマチュア無線をやっているのを見たことから始まります。

何気に機械に興味のあった年頃。
先生は当時、小学校でアマチュア無線クラブの顧問をしていらっしゃいました。

クラブに入るには小学4年生にならないといけない。
私はその日を楽しみにしていました。ところが・・・

先生、いきなりの転勤!

結局、その先生が転勤になったおかげで、アマチュア無線クラブも解散。
小学4年生になったのに、結局アマチュア無線に触れることなく時が過ぎます。

そして、時は過ぎ、高校生になりました。

入学した高校にはアマチュア無線部
(高田学苑アマチュア無線クラブ/ JA2YJE /すでに廃局)がありました。

最初は放送部に入部したのですが、
この時、放送部の部長がアマチュア無線クラブの部長を兼任しており、
それが、アマチュア無線にもう一度かかわるきっかけとなったのです。

仲の良い友達と一緒に、勉強をして、第4級アマチュア無線技士の免許を取得。

その後、親のお金(主に食費とか生活費とか)を失敬し、
(後でバレてめちゃくちゃ怒られましたよ~。よい子は真似をしてはいけません!)
日本マランツ(現YAESU )のC550を購入。
(他に写真部の先輩からKENWOODのTH-55も借用しましたよ。)
申請をして、晴れて開局することに。

コールサインはJL2WAC

この時に郵政省(現在は総務省)傘下の
東海電気通信監理局(現在は東海総合通信局)より
発行されたコールサインを今も大事に使っております。
まあ、再割り当てなので、前の方がどんな方かまではわかりませんけどね。

当時、相当数のアマチュア無線局があったようで、
開局当時の430MHzはそれはそれは大賑わい。
昼も夜も合法・違法無線合わせて空き周波数は本当にありませんでした。

この頃、アマチュア無線機は、受信改造をするのが普通で、
私のC550も当然の如く受信改造を行いました。

日本マランツ(現YAESU)C550
Jマーク有でバンド外送信は出来なかったけど、受信改造は出来た。

そうすると聞こえてくるのは、携帯電話やコードレスホンなど、
なんだか聞くだけでワクワクするような通信ばかり。
まあ、性格が根暗だったので(笑)。

夜な夜な、無線機の前で色々な通信に耳を傾けたり、
移動運用してみたり、それはそれは楽しい時間でした。

ところが、高校卒業が近くなると当然進路を考えないといけません。

当時CQHamRadio(以下CQ誌)は、今みたいに薄っぺらではなくて、
(今でも普通の雑誌に比べれば十分分厚いですが)
本当に分厚い雑誌でした。インターネットなども黎明期で、
まだまだパソコン通信全盛の時代。
その為、分厚いCQ誌の半分はアマチュア無線の広告だった、そんな時代です。

その広告の中に、いつも掲載されている不思議な学校がありました。

その名は「名古屋工学院専門学校」

進路を考える際に、選択肢は3つありました。

  • 親の希望通り、大学に進む。(東北大学あたりで八木宇田アンテナあたりを研究してみたい)
  • パソコンの専門学校に進む。(パソコンも趣味のひとつでした)
  • CQ誌に掲載されている怪しげ?な、「名古屋工学院専門学校」へ行って、
    無線の世界でプロになって南極大陸に行く!

ところで、私事で恐縮なんですが・・・

私、超が付くほどのバカだったんすよ。

成績はいつも最下位。
しかも最下位なので授業時間中に担任に呼び出されて、
説教を受けていたので、さらに受けるべき授業を欠席する羽目になり、
どんどんバカに拍車がかかる状態に。

というわけで、東北大学は無し。当然Fランクラスの大学すら受かる気配すらない。

残るはパソコンの専門学校、もしくは無線の世界。

で、ここで考えたわけです。

趣味を仕事にすると楽しくない!

二者択一の中で、なんとな~く、
「パソコンは趣味の世界でいいかなぁ。無線は仕事でバリバリやろう!」
みたいな感じになりまして、

名古屋工学院専門学校に進学することを決定したわけです。

ただ、両親は大学に行ってほしい、という希望を強く持っていたので、
学費を出して貰うわけにはいかない。

そこで、最初は名古屋工学院専門学校の奨学金推薦試験を受けました。
当然、あえなく落ちる羽目に。
そりゃそうですよね。バカなんですから(笑)

じゃあ、どうしたか。

朝日新聞奨学生制度を利用することに。

これは、新聞配達をする代わりに、
朝日新聞社及び朝日新聞販売店が学費と生活費を出してくれる、という制度。
迷わずこれに応募しました。

で、専門学校の入学試験はどうしたかって?
実は奨学金推薦試験を受けると、入学そのものは無試験でOKになる、
という制度だったので、奨学金は貰えなかったものの、入学は無事出来ました。

名古屋工学院専門学校1号館。上部にレーダーアンテナなどの鉄塔が確認できる。
この鉄塔には、アマチュア無線用のレピータ(FM/D-STAR)も設置されている。

それから3年間、第2級総合無線通信士の試験に合格できるように、
日々勉学に励みつつ・・・朝刊と夕刊を配達し、新聞代の集金に出かけ、
寝坊し、学校をさぼり・・・?

あれ?新聞配達がメインで、学業がサブになっちゃった。

結局、出席日数ギリギリで何とか卒業。
ところが 第2級総合無線通信士は工学Bが受からず、
卒業したのに免許なし。
何しに学校へ行っていたんだか・・・。
親が聞いたら呆れて物もいえないのでは?(笑)

それでも、就職詐欺やら、同じ新聞屋の社員さんにお金貸したら戻ってこなかったりとか、
この3年間の間に強烈な社会の洗礼を浴びつつ、何とか携帯通信工事の会社に就職できました。

えっ?南極はどうした、って?いや、南極に行くためには、
外務省・自衛隊・海上保安庁のいずれかに就職して通信士となり、
その上で観測隊に選ばれたら行けるみたいですね。
私?バカですからそんなの無理ですよ。失礼しました~(笑)

就職後、何とか隙間を縫って残っていた工学Bだけ猛勉強。
ギリギリセーフで第2級総合無線通信士の資格は取ることが出来ました。

こうして社会人になり、忙しい日々でなかなか無線機を触る時間も取れない中、
アマチュア無線も局免だけは切らさない様
(実際には更新のタイミングで数か月切れたりしましたが)にしてきました。

社会人になってからは、アマチュア無線よりもパソコンの方が楽しくなり、
今やプロのパソコンのシステムエンジニアになっております。

社会人になってからのアマチュア無線は、まず車にモービル機を取り付けました。
icomのIC-208やYAESUのFT-100を取り付けて、モービル運用を楽しんでました。
ただ、どうもHFはなじめない、というかアンテナなどに不安があり、
局免で許可はされているものの一度もON AIRしたことはありませんでした。

また、パソコンメーカーに転職の際に、埼玉県川口市へ転居。
結局この時は常置場所を変更せず、JL2WAC/1でずっと運用しておりました。

埼玉では、初めてコンテストにも参加。当時はてなブログを開設したばかりで、
その頃のことがブログに残っていますね。

そして、社会人になって5年たった26歳の時に、
脱サラし、2エリアへ帰ってきました。
ここから、自営業の道を歩み始めます。

この頃から、もう一つの趣味であるスキー・スノーボードを始めます。
当時は携帯電話は普及していたものの、
スキー場ではまだまだ電波が届かない場所も多く、アマチュア無線機が大活躍。
C550は壊れてしまったため、新たに YAESU VX-6とALINCOのDJ-S42 を順次買い揃えて、
万全の態勢でスキー場へ馳せ参じておりました。

スキー場は大雪。こんな場所ではアマチュア無線が大活躍!

脱サラして、しばらくたってから、ついにアパマンハムとして固定局を開局します。

無線機はYAESUのFT-847。HF~430MHzまで送受信可能なオールモード機です。
これにダイポールアンテナを屋上に大家さんに無許可で勝手に設置。
これで晴れてHFデビューか?と思いきや、
やっぱり電波障害(インターフェア)が怖い。

結局、この時もHFデビューはせず、144/430MHzのFMばっかり。
その内、自営業が苦しくなってきて、固定局用の無線機とモービル機を全部手放す羽目に。
ちなみに二束三文でしたが当座の食費にはなりましたとさ(笑)

FT-100/FT-847/IC-208を手放してからは、ハンディ機のVX-6とDJ-S42のみとなり、
スキー場もだんだん携帯電話の基地局が整備されるようになり、
本当に無線からは遠ざかることになってしまいました。

そして数年が経ち、今の妻と結婚し、すぐに子供が授かりました。

そうだ、家を建てよう!

結婚し、子供が出来たらまずは住宅建築ですよね?
えっ、昭和の時代の古い考えだって??
まあ、確かにそういう声も聞こえてきそうですが、
結婚当初住んでいた私の1LDKのアパートではさすがに子育ては無理だと判断。
というわけで、家を建てることに。

まあ、家を建てるのにも色々紆余曲折がありまして、計画から5年もかかりました。
(詳しくはこちらのアメブロに記載があります。興味のある方はどうぞ。)

でね、家を建てるとなれば、
そりゃアマチュア無線が運用できるようにしないといけないでしょ?
ですよね??

そんなわけで、つい先日、新居が完成し、
今度こそHFに出るべく、icomのIC-7300を準備。
屋上に31mのワイヤーアンテナを張って、電波障害対策もできる限りのことを行って、
ついに、ついにこの日が来たわけです。

HFデビュー!(パチパチパチ)

初めてのHFは7MHz。横浜の局長さんとつながりました。
いやぁ、人生の折り返しともいえる40歳でこの感動に出会えるとは!

そんなうれしさの勢いもあって、新たにアマチュア無線の為の趣味サイトを作ることにしたのです。

新居でのアンテナ状況。
高圧鉄塔の横なので、アンテナよりも電線が目立つ。

そんな昔話でした。

最後まで読んでくださった局長さん他、あなた方はお暇な方なんですね。(暴言失礼しましたm(__)m)

ありがとう。これからもどうぞよろしく。

2019/08/17 JL2WAC 自宅リビングのパソコンにて。

Posted by jl2wac